My private inner trip

当面はテーマを絞らず日々の想いを書き連ねます

変わらずにあることの出来るもの

前回のブログの中で、さらっと「変わらないもの、変わるもの、変わらないでもいらるもの」について触れた。...何の具体例も挙げずに(苦笑)。

そこで、今回は最後のものー少し表現を変え、変わらずにあることの出来るものーのひとつについて書こうと思う。


変わらずにあることの出来るものと言って、真っ先に思い浮かぶのが、人の愛だ。
天上の愛は「変わらないもの」だし、犬の愛もそう言ってもほぼ差し支えないのでは、と思う。

...。

犬は人間より高尚だと言っているようだが、実際ある意味ではそう思っている。
話が逸れるので、この話はまた別の機会に譲ることとする。


さて、人の愛について、私的な話を書きたいと思う。

子供の頃から数年前まで、何故父が母を選んだのか不思議だった...実の親に対して酷い話だと思うが。

父は温厚で品があり、仕事も成功して家族思いで優しく料理も上手く、いつもオートクチュールの仕立ての良いスーツを着ていて、学校の父親参観に来れば「格好良い!」と話題になるような、所謂「ミスター•パーフェクト」だった。

一方、母は父と同業で、その時代には際立ったキャリアウーマンだったものの、父の方が優秀であり、家事は下手で、何より恐ろしくヒステリックだった。
小さい頃、本当によく怒鳴られ、叩かれた。
私より一つ、二つ年上の、見知らぬ男の子に母から助けられたことを、今でもよく覚えている。
お蔭で今もヒステリックな女性が大の、大の、苦手である。


そんな訳で、若い頃モテモテだった父が何故母を選んだのか、長年全く理解出来なかったのだが、そんな疑問は父の最期の時期に解けた。

父は数年前に癌で亡くなった。
病のことはここでは触れない。
ただ、母は本当に献身的に介護をした。
バレンタインデーにはチョコレートと一緒に、「愛している」とだけ書いたカードを送った。
実の母である祖母の世話から手を引いた...本人の言葉を借りれば、父のために親を捨てた。
そして今も天に召された父にいつも話しかけている。
ジム等で一緒になる男性に誘われたりもするようだが、「男はパパだけで良い」と言い続けている。

 
そう、父にはわかっていたのだ。
誰が自分を一番愛してくれるのか。
一生変わらずに愛を注いでくれるのか。

思えば、子供の頃、母が私に意地悪だったのも、私が父に溺愛されていたからだと思う...親としても、人としても、どうかと思うけれど。

それでも、きっと父は幸せだったのだろう。
その証拠に、最期の父の顔は、まるで微笑んでいるようだった。


永遠の愛は、何も聖人君主の様な立派な人達だけのものじゃないんだ。

そして、私は母よりはもう少し上手に愛せる気がする。

だって、母よりは少し大人だから(笑)。